記事内に広告が含まれています。

目をそむけずに 〜松本典子『せかいの影絵』

2023.3.16の「神奈川新聞」の「かながわの歌壇時評」に寄稿した文章です。


松本典子の第四歌集『せかいの影絵』(短歌研究社)は、テーマ性の高い一冊だ。特に、災害や戦争、新型コロナウイルス感染症の流行などの社会的なテーマを詠んだ歌が多く納められている。まず、ウクライナ戦争の歌から読んでいこう。

紙おむつの背なかに名前と電話番号書いて祈れりウクライナの母たち

とりすがつて泣く姿おもひ描きつつ仕掛けたのか、地雷を、亡きがらに

一首目では、紙おむつに赤ん坊の名前と電話番号を書き入れる母親の姿が描かれており、二首目では、亡きがらに仕掛けられた地雷のことが詠まれている。どちらも目を覆いたくなるような悲痛な出来事だが、著者は目をそむけるどころか、現実を凝視し、現実の背景にある人間の心の動きに迫ろうとしている。

STAY HOMEの呼びかけに取り残されつ春雷に家を持たぬ人たち

新型コロナウイルス感染症流行時の「STAY HOME」という掛け声は、帰る家があることを前提としている。緊急自体下において、社会的弱者が取り残されてしまいかねない危うさがあることを鋭く指摘した歌だ。

テロや地震、津波に「言葉もない」などと折れたかも詠つてゐなかつたら

著者が社会的なテーマを積極的に詠む理由が窺える歌だ。言葉に携わる歌人である以上、「言葉もない」では済まされない。現実の前に屈してしまわないためには、詠い続けるしかないのである。

はやく大人になれと急かしてゐないかと読みかへすメールいもうとを看る甥へ

がんと闘ふ苦しさは搬び去られゐてベッドに残る毛布のうねり

だれに何を謝ればいいかわからない いもうとの遺影母に抱かせて

この三首は、妹の闘病と死という一大事を詠んだものだ。妹を看病する甥へ送るメール、亡くなった妹のベッドに残る毛布のうねり、妹の遺影を抱く母。著者はここでも決して目をそむけずに、現実から言葉を紡ぎ出している。

社会の歌も、家族の歌も、ずしりと重いテーマに正面から向き合った重厚な一冊である。

(初出:2023.3.16「神奈川新聞」「かながわの歌壇時評」)

タイトルとURLをコピーしました