本多稜ほどフィールドの広い歌人はいないのではないだろうか。世界中の国を旅し、山に登り、各地の祭を訪ねている。
・起きてフォー昼寝してフォー白米の麺の身体と化すまで休暇
・山笠の祝ひめでたを唱ひをへ打つ手一本うつつに戻る
一首目の舞台はベトナムのハノイ。身体を構成する物質が入れ替わるほど、異国の時間と食物に浸っている。二首目は博多の櫛田神社の例大祭。「うたのある場所」をテーマに訪ねた祭の一つだが、「うつつ」と非日常との間に「うた」があるところが興味深い。
本歌集の旅の中でも極め付けは、フランスの「メドックマラソン」への参加だろう。
・またしても呼び戻されてもう一杯シャトーの門はかくも去り難し
・完走の手続き終へてゲート出づわが前にワォ!ワインの海だ
途中の給水所でワインやステーキ、生牡蠣が供される夢のようなフルマラソンだ。四十数首の連作は、実況中継のような臨場感に溢れている。
・天空に梯子をかけて一段づつ昇る一口づつ酒が減る
・おほぞらへ酒は心を放ちやり真白き雲と共に行かしむ
どちらも気持ちのいい酒の歌だ。本多にとっては酔うことも〈旅〉の一つなのかもしれない。
・スッとグッ、スッグッ鍬の心技体スッと入れそれグッと引き抜く
・「ここは今日から女の子の部屋ですからね」扉閉ぢたりおそらく永遠に
旅の歌が多い歌集だが、週末には農園で土を耕し、家族との時間を過ごす。二首目の、着実に成長してゆく娘への視線が温かく、そしてせつない。
世界の深さと体験が生む豊穣を、存分に味あわせてくれる一冊だ。
(初出:「現代短歌新聞」2019年9月号)
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