同日付の歌集二冊 〜鶴田伊津『夜のボート』・宇田川寛之『そらみみ』

今月は、二冊の歌集を取り上げたい。鶴田伊津第二歌集『夜のボート』(六花書林)と宇田川寛之第一歌集『そらみみ』(いりの舎)だ。奥付を見ると、どちらも発行日が二〇一七年十二月十五日となっている。同日付で刊行された夫婦の歌集である。

どちらも子育てが大きなテーマになっている歌集だが、興味深かったのは、それぞれの歌集に、よく似た場面や対象を詠んだ歌がいくつか見られることだ。

子はバッタ追いかけて我はバッタ追う子を追いかけて朝霧散らす  鶴田伊津

落葉らくえふを踏み締め歩む子のあとを追ひて追ひ抜く日暮れの手前  宇田川寛之

子を追いかける歌である。鶴田作は、バッタ、子、我の三者が織りなす空間の把握に妙があり、結句の「朝霧散らす」が、時間帯の提示とともに、親子の映像を徐々に遠ざけていくような印象をもたらしている。宇田川作も前半は空間把握だが、子を追い抜いたところで、「日暮れの手前」という時間の壁に行き当たるところが面白い。アプローチはそれぞれ異なるが、かなり似た場面を詠んだ歌と言えるだろう。

わたしより友の多い子 日曜はひとりがいいと図書館にゆく  鶴田伊津

知り合ひの多きむすめと休日を歩めばむすめに合はせ会釈す  宇田川寛之

こちらは、「友の多い子」「知り合いの多きむすめ」という形で、子の交友関係の広さを詠んでいる歌だ。鶴田作は、そんな子でも一人になりたい日があることに着目している。宇田川作は、子の顔の広さを「会釈」を通して再確認していく様子を描いている。

子を乗せぬ自転車のペダル軽くあり飛ぶようにゆく飛ぶことはなく  鶴田伊津

途中下車をして海へ行くことあらず行方不明になりしことあらず  宇田川寛之

夫婦どちらも、時には子育てや家庭から離れ、出奔を思い描いたこともあっただろう。鶴田作では、子を乗せていない自転車が「飛ぶようにゆく」のはあくまで比喩であり、現実は、結句の「飛ぶことはなく」に表れている。ここに、ひりひりとした実感がある。宇田川作は、仕事をさぼって「海へ行く」ことも、「行方不明」になることもない自分を、対句表現のなかで反芻していて、そこに人生の苦味が滲んでいる。

ゆふばえの妻の外出せしあとを子とふたり万華鏡を覗けり  宇田川寛之

われは「いる」きみは「みてあげる」と言いぬ子と二人きり一日過ごすを  鶴田伊津

こちらは、子と二人きりで過ごす時間を詠んだ歌だ。宇田川作は、子とふたりで覗く万華鏡が、かけがえのない瞬間を美しく切り取っている。鶴田作は、言葉遣いの中に表れた夫婦の子育てへの関わり方の違いを、鋭く指摘している。

こうして見てくると、作者たちがどこまで意識しているのかは分からないが、この二冊の歌集は、ある種の共同制作なのではないかと思えてくる。実際には、鶴田の歌集が少し早く流通をはじめたと記憶しているが、あえて発行日を同日にしているのは、作者たちに、二冊の歌集が併せて読まれることを期待する意図があってのことではないか。

この二冊は、平成期の子育てを夫婦の両側から記録した歌集として、貴重な資料になり得る。現在の視点でも読みどころは多いが、ぜひ末長く併せ読まれることを期待したい。

(初出:「りとむ」2018.5)

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