2025.5.15の「神奈川新聞」「かながわの歌壇時評」に寄稿した文章です。
貝澤駿一の第一歌集『ダニー・ボーイ』(本阿弥書店)は、個人の具体的な体験に根ざした作品が特徴的だ。
ロシア語のあだ名をみんな与えられ あの日 僕はコーリャになった
僕はコーリャ 地図から消えたその村をずっと探している男の子
この二首は、大学のロシア語の講義で学生一人ひとりにロシア語のあだ名が与えられたことを詠んだものだ。「コーリャ」と名付けられた自分を、地図から消えた村を探している男の子だと想像することで、故郷を奪われた少年の悲しみに迫ろうとしている。こうした体験をもとに、著者はロシア、ベラルーシ、ウクライナ、ガザなどへの関心を深め、歌集にも多くの歌が収められている。
水たまりをよけて歩めり戦場もあるいはそうかとうつむきながら
歌集の巻末の一首。雨の日に水たまりをよけて歩いているときにも、戦場の市民や兵士たちに思いを馳せる。苦難に耐える人々の力になりたいと思いながらも、何もできない歯がゆさが「うつむきながら」に表れている。
嵯峨直樹の第四歌集『塔』(現代短歌社)は、貝澤の歌集とは対照的に、かなり抽象度の高い作品で構成されている。
鋼鉄の空を飛びゆくしろがねの鳥みずからをあやめるこころ
ひと影と吊革の影揺れている死をはらわたに含みもつバス
一首目の「しろがねの鳥」は飛行機の比喩だろう。飛行機が「みずからをあやめるこころ」を持ったとき、待っているのは大惨事だ。二首目の「死をはらわたに含みもつバス」は、いずれは死を迎える人々を乗せていると読んでもいいが、仮にこのバスが戦地を走っているとしたら、死の臨場感はにわかに高まってくる。歌集の中には戦争の場面を描いた連作もあるが、直接的に戦争を描いていない作品であっても、死や破壊のイメージが浮かんでくるものが少なくない。
かなり作風の異なる二冊の歌集だが、戦争の影が色濃く感じられるという点で、同時代のテーマを共有していると言えるだろう。
(初出:2025.5.15「神奈川新聞」「かながわの歌壇時評」)
