杉山太郎の第一歌集『花鋏の音』(青磁社)は読み応えのある一冊だった。
落ちる音取り出す音がワンセット飲料水の自販機の音
まだ開かぬ画廊の床に三角のドアストッパーその時を待つ
一首目は、自動販売機から聞こえてくる二つの音に着目している。飲み物が落ちてくる音と、飲み物を取り出す時の音だが、言われてみると、確かにこの二つの音は、わずかな時間差を伴って、「ワンセット」で聞こえてくるものだ。二首目の「ドアストッパー」は、画廊が開店するまでの間は、ドアの近くの床に転がっていたのだろう。どちらの歌も、普段は人があまり気に留めないところに焦点を当て、丁寧に観察して描いているところに特徴がある。
人が手を振る建物は何となく遠くからでも温もりを持つ
カキフライ定食ばかり売れている駅前の店しまったと思う
こちらの二首は、観察に基づいた上の句を受けた下の句での反応の仕方が面白い。人が手を振っている建物が温もりを持っているように感じられたり、カキフライが人気メニューだったと気付き、しまった(私もカキフライにすればよかった)と思ったりする。対象をしっかり観察した結果、どこか人間臭い反応が出てくるところが魅力的だ。
東横線の残骸となる鉄骨が壊されてゆく桜木町駅
壊されし分だけ空が拡がりぬ川崎さいか屋の形消えゆく
歌集には、横浜や川崎の街の移り変わりを詠んだ歌もある。建造物が取り壊されていく様子の描写が、過ぎ去った街の風景を一首の中に留めている。
コンビニに病院に若き僧がいて総持寺の街の日常がある
この歌は、横浜の鶴見が舞台。総持寺は福井県の永平寺に並ぶ曹洞宗の大本山だ。「若き僧」の姿からは、長い時の流れが感じられるが、歌の場面に「コンビニ」や「病院」が登場することで、現在の鶴見の街の表情がひょっこり顔を出している。こういう歌も、今を記録する貴重な文学作品と言えるだろう。
(初出:「神奈川新聞」2022.8.18「かながわの歌壇時評」)