何年か前から「タイパ」という言葉をよく聞くようになった。「タイムパフォーマンス」の略で、日本語にすると「時間対効果」。ビジネスでは、労働時間に対する仕事の成果、プライベートでは、費やした時間に対して得られる満足度といった意味で用いられることが多い。
有限の時間を効率的に使うという点では共感できる考え方だが、人生の折節には「タイパ」的な尺度ではなかなか測りがたい時間というものもある。
堀静香の第一歌集『みじかい曲』(左右社)は、まさにそんなことを思わせてくれる一冊で、暮らしの中のちょっとした輝きに満ちた時間が、様々な歌のなかに散りばめられている。
行かなかった祭りのあとの静けさの金木犀のつぼみの震え
スクランブルエッグとぼくらが呼んでいる木香薔薇がなだれるところ
一首目は、祭りに「行かなかった」平凡な一日のことが詠まれている。特別ではない一日であっても、「金木犀のつぼみの震え」に気づくことで、季節のささやかな変化を感じ取ることができる。二首目は、木香薔薇が咲く様子をスクランブルエッグに例えたのもユニークだが、他愛ないやり取りができる「ぼくら」の親しい関係性が、木香薔薇が咲く場所に特別な意味をもたらしている。
二日目の鍋にうどんを放り込み 見たことのない虹の真ん中
ヘルシンキに住む友人がムーミンは日本でいうところの桜だと話す
一首目は、「二日目の鍋」からふと目を上げたとき、初めて見るような立派な虹がかかっていたのだろう。二首目の友人の話は、フィンランド人にとってのムーミンの位置づけが分かって興味深い。立派な虹も、ムーミンの話も、出会わなかったとしても困るものではないが、こういう出会いこそが、人生の時間にふくらみをもたらすのではないか。
一日のほんのすこしを降るだけで雨だったって言われるように
「ほんのすこし」降っただけの雨が「雨だった」と語り合われる時間。その豊かさを大切にしたい。
(初出:「神奈川新聞」2024.10.17「かながわの歌壇時評」)