歌人であり、横浜国立大学大学院に在学中の国際社会文化学者でもあるカン・ハンナによるビジネス書『コンテンツ・ボーダーレス』(クロスメディア・パブリッシング)が出た。BTSの楽曲や映画「パラサイト」など、韓国のコンテンツが世界を席巻している要因を多面的に分析し、分かりやすく紹介した一冊だ。
カンは、日本のコンテンツには「余白の美しさ」があるとし、例として村上春樹の小説『ノルウェイの森』や宮崎駿監督の映画「千と千尋の神隠し」などを上げつつ、短歌の世界でも「すべてを言い切らない」ことが大事にされていると述べている。
また、フランス映画には哲学や思想をテーマとする作品が多いことと比較して、日本のコンテンツには「暮らしや生き方などが細かく描写」されるものが多いと指摘している。
「余白の美しさ」も、「暮らしや生き方」の丁寧な描写も、短歌が歴史的に培ってきた美意識や方法のエッセンスとも言える。そうしたものが、小説や映画など、日本の様々なコンテンツの魅力にも通じ合うものだとすれば、短歌に関わる一人として、とても嬉しいことだ。
最近刊行された中川佐和子(横浜市在住)の第七歌集『夏の天球儀』(角川書店)は、まさにカンが言う「余白の美しさ」を感じさせてくれる歌集だった。
白昼にはらんはらんと紅梅は土へこぼれて母おらぬ家
母が亡くなったあとに詠まれた歌だ。一首の中で「かなしい」とは一言も語られていないが、土にこぼれていく紅梅の様子がズームアップされてゆったり描かれることで、母の不在によるかなしみが、くきやかに浮かび上がってくる。
くるくると巻きつきながらのぼりたる緑のゴーヤは歳月持たず
この歌も母の死を主題とした一連にある。あっという間に育ったゴーヤは「歳月」というものを持たないが、その認識を経由することで、母が過ごしてきた歳月のかけがえのなさが、立ち上がってくるのである。
どちらも「言い切らない」ことで、かえって思いが伝わる歌と言えるだろう。
(初出:「神奈川新聞」2022.11.17「かながわの歌壇時評」)